ネパール/タイ/カンボジア/帰国
ネパール
ついにネパールの
ポカラ
に到着。私はそんなことは知らなかったのですが、ポカラといえば
トレッキング
らしい。仕方ない。せっかく来たのだから、とトレッキングに行ってみることにした。ネパールに山に行くにはなんとパーミッションとやらが必要。約
1,500円
かかる。せっかく来たのだから、と参加することにする。初日、夕方の4時くらいから山を登り始め、ダンプスと言う最初の宿場村へ。その夜に現地の不良どもと一戦を交えかけるが、そこは紳士の私。勘弁して拳を納める。この写真は
ダンプス
から見た朝日。実に美しい風景をかもし出していた。心が洗われる。
東側にある温泉を目指して歩きつづける。本来ならば往復で4泊ほどするところを無理やり2泊3日で強行することにした。めちゃくちゃしんどい。道の案内にしたがって歩きつづける。激流があった。NewなんとかBridgeとやらを目指していたら、なんとこの写真にあるようなふざけたしょぼい橋。
やれやれ
と言う表情を撮ってもらった。このときはすでに死にかけ。
夕方4時ごろ、
温泉
に到着。疲れきった体を温める。メチャクチャ気持ちよかった。お湯が汚いなどは関係ない。が、のんびりしていたら日が暮れてしまい、その後暗い山道を登って宿場村に帰ることになる。つらかった。
その夜はぐっすり眠れ、体力はすっかり回復する。今日は下るだけだ。
くだりは楽でいい。のんびりと山を見ながら下る。無事ポカラの宿に到着したのは、夕方8時をまわっていた。
ポカラの
レークサイド
では年末を祝うお祭りが開かれていた。ここらではインドよりも
チベット
の影響が強いように思われる。
12月31日朝、ついにこのたびの最終目的地である
カトマンズー
に到着した。フランスのパリから実に長いたびだった。それを祝してカトマンズー名物の
エベレストステーキ
を食べようと思ったが、あきらめてカーボーイステーキを食べる。ちなみに着ている服はチベットの民族衣装。
2001年1月1日元旦。ついに
初日の出
を拝むことになった。が、残念ながら曇り空。これはやむなし。楽しい
21世紀
が私を待っていることだろう。
カトマンズーにあるチベット仏教のお寺に
初詣
に行く。さすがにぼちぼちと人の出があった。ちなみに写真の仏塔にある目の印は、全てを見透かすブッダの目らしい。
何か深い意味があると思うが私は知らない、チベット仏教の名物のガラガラ。とりあえず回しておいた。
お寺のお土産屋。商魂たくましいこのお寺にはたくさんのお土産屋が軒を並べていた。なんとなくカラフルでいかしていたので一枚。
カトマンズーの東、バスで3時間くらいのところにあるナガルコット。この後ろにはヒマラヤ山脈がそびえていたのだが、この写真では分かりにくいみたい。
トルコのカッパドキアで中坪に頼まれていた手紙を
ガネーシャ先生
に渡しに行く。って、ガネーシャ先生ってなんや!と思ったらこのおじさん。なんでも日本語の先生らしい。最近は日本語を使う機会がないのが残念とのこと。この翌日、フランス以来、まったく使ったことのなかった
飛行機
を使い、バンコクへ飛んだ。あとの旅行は消化試合となる。
タイ / カンボジア / 帰国
タイではまだ行ったことがないところに行こうと思い、バンコクからバスで2時間の
パタヤ
へ。夜は毒々しいネオンが町を埋め尽くし、多くのゴーゴーバーが軒を連ねる。なんかも一つ面白くなかったので、さっさとバンコクへ帰る。
バンコクでは次にどこへ行こうかとさんざん迷った挙句、3年前に行ったことがあるカンボジアへ再度行くことに。この写真はタイ側の国境。3年前はこのあたりのカンボジア川はポルポト派の本拠地とされ、かなりの危険地帯だった。現在はその国境も開放され、かなりの賑わいだった。
カンボジア側に入り、アンコールワットのある
シェムリアップ
まで延々8時間、ピックアップトラックの荷台に乗り込む。イスラエル人ばかり10人と詰め込まれ、かなりギュウギュウ。しかもこの上なく悪路。結構つらい移動だった。
久しぶりに
アンコールワット
へ。意味無くお祈りをしておく。
シェムリアップにて昨日の毎日新聞を発見。記念にアンコールワットで読む。何か違和感がある。
かつてポルポト派にいろいろと破壊され、首のない仏像が多くある。かわいそうなので私の首を飾っておく。
今回は前回の旅の陸路はやめて、スピードボートにて首都のプノンペンを目指す。トンサラップ湖には水上生活者が多くいて、中には
ガソリンスタンド
もあった。この写真がそれ。
プノンペンにてポルポト派による大虐殺が行われたという、
キリングフィールド
へ。何千もの骸骨が展示してあった。どれも頭蓋骨に穴がある。ハンマーなどでたたき殺されたためらしい。成仏を祈る。
ここだけで450人もの人が殺され、埋められたらしい。こういうものが周りにたくさんある。主に10代の若者により殺されたとのこと。恐るべし、カンボジア。成仏を祈る。
キリングフィールドのすぐあとで申し訳なかったが、射撃へ。今回は皆様の憧れの的である
トカレフ
を使用。5発的に向かって撃つ。やはりなかなか難しいもんだ。
バンコクへ戻る。カオサン通りの宿に泊まっていた女の子にメガネをかけさせてもらう。ちなみに私の視力はこの間測ったら、両目共に2.0だった。
1月18日早朝、ついに日本への帰国の途につく。宿には親切なやつらが居て、5人がバスまで見送ってくれた。いい気持ちで旅を終えることが出来た。ありがとう。ちなみに真ん中のおっさんは関係ないタイ人。
ついに帰国
。これにて旅は全て終了となりました。生きて帰れてよかった。日本寒すぎ。
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