トルコ/イラン/パキスタン/インド
トルコ
トルコのガキども。なかなかかわいい。私の空手を披露してやったら、人気者に。
イスタンブール
のモスクを遠くから。
このホームページに少々載っている、
中坪
と3日間合流。この写真は別れる時のもの。
カッパドキアで
空中浮揚
。問題の一枚。
カッパドキア
の奇岩の前。ちなみにカッパドキア自体は2度め。
とることイランの国境の町、ドウバヤジット。本当はこの写真には富士山そっくりの
アララト山
が写っているのだが、スキャナーの出来が悪くて見えない。アララト山はノアの箱舟でも有名。
イラン
一見何気ない写真に見えなくもないが、これはかなり
貴重な写真
。一旅行者がイラン人女性と屋外で一緒に写真を撮ろうなんて、ほとんど不可能。旅行者が珍しいのか、彼女たちは自分らから一緒に写真をとろうといってきた。妙に美人ぞろいだな、と思っていたら、なんと女優とのこと。えらく進んだ考えの人たちで、この写真をとっているときも他のイラン人男らから注意されたにもかかわらず、「
関係ないでしょ!
」と一喝していた。
左の写真と同じく、ここは
イスファハン
。世界史の授業で、かつて「世界の半分」世歌われたほど栄えた街だと習ったことを覚えている。本当に美しい町だった。ただイランの欠点は、旅行者が珍しいせいか、イラン人がしょっちゅう話し掛けてくる。他の国とは違い、多くの場合は金目当てではなく、親切か英語を誇示したいがために話し掛ける。はっきり言います。うざい。
かつてアケメネス朝ペルシャの首都で、アレクサンダー大王により破壊された
ペルセポリス
。首都のテヘランから南へ13時間ほど行ったシーラーズからさらにバスで2時間ほどのところにある。結構行きにくかった。が、結構良かった。
ペルセポリスのうりは
レリーフ
。ダレイオス大王の象などが結構残っている。が、後のイスラムの進行後、偶像崇拝を禁止せんがため、ほとんどのレリーフの顔は破壊されている。至極残念也。
シーラーズより夜行バスで13時間。イラン東部の町
バム
へ。ここは15,6世紀頃の町並みがそのまま残っている。なんでも住人がみなでここを捨ててしまったとか。なかなか見ごたえがあるところ。
バムの遺跡(アルゲバム)のチャイハネ。イランのチャイハネには
水パイプ
があり、これがアップル味、ストロベリー味等さまざまな味があっていけている。何時間でも吸っていたいのだが、多くの店では1時間弱で追い出されてしまうのが残念。
これまたアルゲバム。イランの遺跡に良くあることだが、恐ろしいことに現在も造りつづけているのだ。どういうことかといえば、修復するのではなく
新たに
遺跡を建造、増築しているのである。つまり新しい煉瓦でわざわざ古い建物を造っているのである。何のためか。観光が金になるからとしか思えない。が、観光客はわざわざこんなところまでやってきて、古い遺跡ではなく、その偽物を見たいなどとは思わないだろう。まあ、そういう常識に多少欠けた国だ。
パキスタン
バムからバスで東へ。ついに国境を突破し、パキスタンへ入国する。イランでは
ホメニイ
の肖像画が多く会ったのと同様、パキスタンはこの写真の
ジンナー
の肖像画が多くある。これは国境の壁にあったもの。始めてみたので嬉しくてとってしまったが、後にうんざりするほど見ることになる。
パキスタン川の国境の村、バザールガン。この頃ガイドブックに「
旅行人ノート アジア横断
」という本を使っていたのだが、その本に載っていた通り、ここはほとんど難民キャンプ。強烈に汚い所だった。この写真ではそれが伝わりにくくて残念。空気も汚く、思わずこの写真の通り、頭に巻く布をここで購入する。これなしでは健康に悪すぎる。恐るべしパキスタン。
かつて世界三大交通地獄と呼ばれた道を通り、バスに揺られること16時間。パキスタン西部の町
クエッタ
に到着した。パキスタン人はちょっと油断するとこの写真のようにすぐ人に囲まれる。そして無遠慮な視線を投げかけてくる。やつらは暇すぎる。
クエッタからバスで10時間ゆられ、そこからさらに3時間。かの有名な
モヘンジョダロ遺跡
へと到着した。どうもここは観光客が思いのほか少ないらしく、いろんなところに蜂の巣があって怖かった。遺跡自体は4,500年前ほどのものとは思えないほど、立派なものだ。
モヘンジョダロには12月の頭に行ったのだが、11月に日本人が殺されたとのことを後に聞いた。そんなことは知らなかったのだが、ほかに人が居ないところで写真のような農作業中のやつが、巨大な刃物を持っているのは怖かった。でも
ラクダ
は大きくて立派。
モヘンジョダロといえば
都市計画
と
排水溝
と思い込んでいた。ありました。思わず撮っちゃいました。他にはしっかりとしたごみ捨て場があったりと、感心しきり。下手すると今よりよっぽど良かったかもしれない。
次なる都市はいっきに北上し、北西のアフガニスタンの国境に近い街、ペシャワールを目指す。バスでの移動は危ないとの情報を得て、
電車
にて向かう。24時間の移動とのこと。あまりにつらいので、リッチに1等車両に乗る。悪い予感はしていた。電車は
史上最悪
のものだった。「
一等
」などは名ばかり、いすはボロボロで埃まみれ。ガラスがない窓がある。そしてそこから猛烈に砂埃が入ってくる。健康に悪いこと、この上なし。出発自体が1時間遅れた。それはまだいい。24時間経とうが、25時間経とうが到着しない。車掌にいい加減にしろ、と文句を言う。「
お前、これは飛行機じゃない。バスでもない。電車だ。遅れるのは当然だ
!
」などとふざけた名文句を残した。結局出発から
30時間
後、ようやくペシャワールに到着する。それ以来電車恐怖症になったのは言うまでもない。
ペシャワール
に到着後、あまりに電車に疲れた私はその日はリッチに高級ホテルへ泊まる。その時はちょうど
ラマザン
(断食月)にあたり、太陽の出ている間は何も食べることが出来ない。疲れのあまり夕方まで起きることが出来ず、13時間ブッ通しで眠りつづけた。ダイエットをするなら、ラマザン中にイスラム圏を旅するのが一番だろう。この写真はペシャワールの西部に広がる
トライバル・エリア
(種族地域)の入り口。エリア内では国道以外は
治外法権
で、パキスタンの法律は通用しないとのこと。外国人はパキスタンの警官を同行させなければ中へ入れない。私は根性を出してこそこそと中に進入したのだが、生命に危機を感じわずか10分足らずで退散。恐るべし、パキスタン。
トライバルエリア手前のマーケットにて射撃をする。
5発撃つ
。銃の先を持たれたのがちょっと残念だが、強烈な衝撃と轟音を味わえてなかなか良かった。
これまたとライバルエリア付近。
アフガニスタン
の難民が集まるマーケット。これまた汚いところ。外人が珍しくもちろんのように皆がジロジロと見てくる。
ペシャワールを出てバスで3時間、ラワルピンディ―へ行き、そこから15時間、パキスタン北部の町ギルギットへ。
フンザ
へはそこからさらに2時間ミニバスにて北へ。これはその写真。パキスタンの車は日本の中古車が多いのだが、日本製をアピールするために、わざわざへたくそな日本語で車に書き込んでいたりする。
ここが宮崎駿の「
風の谷のナウシカ
」のモデルになったといわれるところ、パキスタン北部、中国との国境に近いフンザだ。7,000メーター級の山々が聳え立った本当に美しいところ。が、12月半ばのためメチャクチャ寒い。この写真はついた翌日に朝日を見るために山へ登ったもの。いい雪景色だった。
朝日を見るための山登りの帰り道。地元のガキどもと一枚撮った。ここの住民は他のパキスタン人とは異なって、金髪碧眼のいわゆる
白人系
が多い。なんでもアレクサンダー大王の遠征時の末裔と名乗っているらしい。まんざらハッタリでもないかもしれない。
フンザは
トレッキング
が有名。申し訳程度に日帰りでやってみる。雲の上から見える、雪に覆われた山頂がきれい。
フンザには川が流れていて、なかなかの急流。そこに危なっかしい吊り橋がかかる。そこをいくつかの車が走っている。
フンザで泊まっていた
オールド・フンザ・イン
での一枚。あまりの寒さのため、観光シーズンはほとんど終わっており、人は少ない。が、その分まとまりがあってなかなか楽しかった。最大の不幸があった。そこには3泊したのだが、この町全体が私の滞在中、一度も電気が通じなかった。おかげで夜は暗いわ、シャワーは浴びれないわ、で困ったモンだった。
フンザから下り、ラワールピンディーに泊まってから、インドとの国境の町
ラホール
へ。この写真はラホール名物らしいラホールフォート。ラホールのホテルは大変に評判が悪い。その悪評ははるかギリシャでも耳にしていた。「
忍者屋敷
」だの「
泥棒屋敷
」だのと呼ばれるそれは、ホテルのベッドの下に人が潜んでいただの、天井から人が入ってきただの、かなりのモンらしい。幸いにも私はそんな被害には会わなかった。
インドとの国境。パキスタンには写真のような派手派手な
トラック
がたくさん走っている。いわば一種の名物だ。今まで撮り損ねていたので、これはやばいと思い、ギリギリの国境にて一枚撮ってしまった。
インド
パキスタンとの国境をインド側から撮ったもの。両国間は険悪で、荷物のチェックが厳しかった。特にパキスタンを出る際にはパキスタンのイミグレで荷物を
全て空けさせられた
。どうして今から出るやつの荷物をそこまでチェックするのだ?美術品でも持ち出したと思ったか?その割には麻薬がどうこう言っていた。インドのイミグレが調べるのなら分かるが、まったくパキスタンは訳の分からない国だ。
インド西部の町、アムリットサル。ここにはシーク教の総本山、
ゴールデンテンプル
がある。そこは親切で僧房に無料で止めてくれるは、食事をタダで食わしてくれる。ここにインドで最初に来たので、インドのイメージはパキスタンと比べ、かなりいいものとなった。
首都のデリーには一泊だけし
、タージマハール
のある
アグラ
へ。どういうわけか、2000年の10月より入場料が
20ドル
へアップ。インドの物価から考えると、恐ろしいほどの値段だ。もちろんこんな値段はインド人には適用されず、外人料金となる。かなりむかつく。が、金曜日は外人も含め、入場料が無料となる。もちろん金曜日に行く。
インド人にシャッターを押してくれ、と頼んだところ、やはりろくでもない写真になった。タージマハールのうりは左右対称のミレット(尖塔)なのに、人が入ってろくな写真ではない。まあ、しゃあない。これも一人旅のつらさよ。
タージマハールでボケ―としていたら、もちろんのようにインド人が寄って来る。一緒に写真に入ってくれだの、どこからきたんだ、英語は話せるか、
お前は男か女か?
だのだ。この写真はそういうやつらの一つで、インド人の女の子が集まってきた。せっかくなので写真をとってやる、と言ったところ、大人数が近くにより過ぎる。おかげで近すぎてピントがなかなか合わなくて苦労させられた。
アグラから電車で3時間、バスで4時間乗り継ぎ、
カジュラホ
と言うところへ来た。ここのうりは悩ましい彫刻。ものすごく細かく彫ってある。まったく変わったところだが、見ごたえはあると思う。が、むかつくことにここもタージマハールと同様、2000年の10月より入場料がアップ。
10ドル
となった。金曜日も金を取るらしい。仕方がないので支払う。インドめ。インド人も支払うのなら許してやるのだが。
これは鼻の折れた象の像の前で一枚。インド風のポーズをした。はっきり言って鼻の折れた象はただの
豚
です。
カジュラホの遺跡内を歩いてたら、もちろんのようにインド人が寄って来る。何が楽しいのだか、一緒に写真を撮らせてくれとのこと。男と撮って嬉しいか?多分女と思っているのだろう。やつらに言わせれば、髪が長ければ全て女らしい。ちなみにこの頃私は3ヶ月間
あごヒゲ
を伸ばしつづけている。まったく見る目のないやつらだ。せっかくなので私も一枚撮っておく。
カジュラホで滞在中、インド各地を巡業中の踊り子たちがやってきた。もちろん見に行く。手と首を使ったいかにもインドらしい踊りを見ることは出来なかったが、ノリノリでなかなか充実した3時間だった。
カジュラホのレストランのオーナー。この人は自称、医者で弁護士で地主で観光案内人らしい。ちなみに彼曰く、政府公認の観光案内人は弁護士よりもなるのが難しいとのこと。鵜呑みにしていいんだか。
ここ名前を忘れた。ガンジス河となんかが合流する、ヒンズーの聖地の一つ。川沿いに
シヴァ神
がおいてあったので、河側から一枚取ってもらう。ちなみに私はガンジスには入りませんでした。
そのなんとかからバスで多分3時間。ついに
ヴァラナシ
に到着。ここがいわゆるインド的なインドだ。ちょっとたそがれてみた。
ヴァラナシで泊まっていた
久美子ハウス
。写真で見たら異様に汚いが、行ってみるとそないにたいしたことはありません。なかなか楽しいところだった。
インドと言えば
牛
。撮っときました。ちなみにこのマントはパキスタンで買ったもの。こういう国では何の違和感もありません。現在は私の部屋で邪魔者扱いですが。
ついにインド脱出。ネパールへ。思わず
中指
も立つってもんだ。
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